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昨日は久しぶりに北鎌倉で過ごした。
3連休最後、紅葉の中のハイキングにはもってこいの日和もあってか
かなりの観光客だった。
鎌倉の秋らしい光景。
墓参りも済ませ、山を降りて来ると紅葉の向こうの
東慶寺宝物殿の壁にその木々の影が
傾き始めたお日様に照らされて映りこんでいた。
その影が、美しい木の様子ということを知っているからか
うまく言葉に表せないけれど、何とも素晴らしい光景だった。
知らないとしても、瞬時に過去の記憶の引き出しとこの映像をかぶらせて
こころの眼が美しいと感じるのでしょう。
きっと。

そして、茶室への道のり。
路地の蹲にも。。。
清めるこちらの気持ちを更に心地よくさせてくれるかのように
影が映りこんでいた。
そこに、落ちてきたもみじが1枚。
今度は言葉が見つからない。
ただ、ただ眺めるだけ。
秋の装いに身を置くだけで
忘れかけていたモノに、ふと気付くような時間だった。

影があるのは、そこに何かが存在し
何かの光があり、何かの映るスクリーンがあるということなのかな。
お茶をしていると、それプラス
人の生き様だったり、洗練されたセンスだったり
想いだったり、人間のいい影が畳に映っているように
感じる時もあり・・・。
良い秋の1日だった。

3連休最後、紅葉の中のハイキングにはもってこいの日和もあってか
かなりの観光客だった。
鎌倉の秋らしい光景。
墓参りも済ませ、山を降りて来ると紅葉の向こうの
東慶寺宝物殿の壁にその木々の影が
傾き始めたお日様に照らされて映りこんでいた。
その影が、美しい木の様子ということを知っているからか
うまく言葉に表せないけれど、何とも素晴らしい光景だった。
知らないとしても、瞬時に過去の記憶の引き出しとこの映像をかぶらせて
こころの眼が美しいと感じるのでしょう。
きっと。

そして、茶室への道のり。
路地の蹲にも。。。
清めるこちらの気持ちを更に心地よくさせてくれるかのように
影が映りこんでいた。
そこに、落ちてきたもみじが1枚。
今度は言葉が見つからない。
ただ、ただ眺めるだけ。
秋の装いに身を置くだけで
忘れかけていたモノに、ふと気付くような時間だった。

影があるのは、そこに何かが存在し
何かの光があり、何かの映るスクリーンがあるということなのかな。
お茶をしていると、それプラス
人の生き様だったり、洗練されたセンスだったり
想いだったり、人間のいい影が畳に映っているように
感じる時もあり・・・。
良い秋の1日だった。

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by nakazawasoju
| 2012-11-26 10:22
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