一服いかがですか。 どうぞ、ごゆっくり・・・


by nakazawasoju

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千里同風

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風。

そよ風も突風も自然界を動かすもの。

人のこころにも、様々な風が作用して、感情を動かす。

あまり追い風?を感じることはないような気がするが、

かといって、すきま風も最近はなくなったような気もする。

あの日以来、

人は命の長さだけを追い求める時代から

魂の重さを自ら感じながら生きていく時代として

着眼点が移ってきたような・・・

本来あるべきところに戻ったというか。。。

ぼくにも、そんな部分があるのか

こころに吹いてくる風に過剰反応しなくなった感じがある。

受け入れる寛容さと、捨てる勇気のようなものが

このスピードの速い、表面だけを追い求めていく時代には

尚更必要なのだなと、僕なりにも理解でき

自分のできることを継続していけることが

何よりも尊いことだと、ふと思う。

千里。

果てしなく遠いね。

でも、悪事も千里を駆け抜けるだけでなく

こうやって、パソコンの前でガチャガチャやっているだけで

宇宙とまではいかなくても、世界中に

あらゆるものが瞬時に駆け抜けている。

一昔前なら、果てしない先への一歩の重みも

人生観を養っていたのだろうけど。

回線だけでなく、身そのものが1日で地球を1周できてしまう訳だから

千里の道の1歩なんて、感ずることもないのかな。

千里同風。

まず、アタマの中で爽やかな風をイメージできる

ゆったりとした時間を持つことが、我々にとっては先決だね。

そして、固まった気持ちを解きほぐす風が

どこまでも続くような空想できたら

明日の気分は上々でしょう。。。

勝手に、いい解釈!?


軸 千里同風  神戸湊川 楠寺 先々代住職筆

参考  「論衡」 江漢の書
     君子千里同風 
     君子たるものの為政は、何処も太平である。
     市井の生活者である我々になぞらえれば、地位や相手によって変わることのない
     人間のあり様。
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by nakazawasoju | 2011-11-22 23:52

いま時分

大学の頃かなあ。

クルマに電話がつくようになったのは。

そして、大きな電話を肩に担いで電話ができるようになり。

でも、まだそのあたりまでは、

電話は掛けるべき場所にダイヤルを回し、いやその頃はもう押していたのだね、

相手がそこに「居る」のであれば、そちらの状況と、人物が常に重なるものだった。

出てもらいたい人が電話口いて欲しいと願ったり、

また、逆にその家族や、下宿先の大家さんと関係ないお話で盛り上がったり、

時には、うちの娘に何か用ですかなどと、切られてみたり・・・

声の繋がりは、個を指すものでなく、定点であることへの安心と

その場所に、求めている人がいるかいないかという、面白味があった気がする。

そして、この20年で定点から完全に個を指していくようになった。

相手は見えているけど、背景が見えない。

背景が見えて、相手が見えないケースの多い時代から、正反対に切り替わってきた。

電話だけでも、というより、電話の在り方も

ものの捉え方を変えたよね。

こんな時代。

そこにいる。

その心地よさというか、安心のようなものが、ホッとする。

固定されて動かない。

流動するスピードを求めすぎる今には、窮屈にも思えるが、そういうものがまた

落ち着きを与えてくれる。

時折、富士山にも会いたくなる。

ビルの谷間からでも、その姿はホッとする。

近所の神社の桜の木。

花をつけていなければ、桜という名前すら思い起こさないことも多いが、

その場に居続けてくれるから、いつものそこの背景をつくってくれている。

そして、パワースポット、ヒーリングスポットの定義は知らないけど、

この場に立つと、呼吸が深くなる。

どの季節でも。

これからの、夕刻が特にいい。

背景としてこころ落ち着き、

その成り立ちの背景に胸が高鳴る。。。

ゆっくりと時が流れる。

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by nakazawasoju | 2011-11-14 00:26

ナポリ

昨年の今頃は、イタリアから戻ってきた頃だなあと、ふと思いだした。

友人Mimmaの故郷でもあるナポリ。

彼女に講義のお礼も兼ねて・・・と考古学者のお姉さまのガイド付きでの

ポンペイ探索をさせていただいた。

ナポリ美術館での下調べから始まり、

遺跡の中だけでなく、地質のことも教えていただき

紀元前から2000年以上、それは地球の年齢から考えれば

ごくわずかな時間になってしまうが、

我々にとっては果てしなく長い時を経て

その営みを感じとれることは、まさに至福の時間だった。

歴史は、球面体の圧縮だよ。。。と寺島実郎さんから

お話いただいたことがあった。

ローマにおいても、紀元前の建物の横に、16世紀の建造物があり

我々は今五感から飛び込んでくるその3次元を楽しむことはできるけど、

16世紀の人にしても、横の建物は1500年以上も前のもの。

彼らも、それに対し歴史上・・・として見ていたわけだから

歴史観をビジュアルで平面だけで捉えず、球面体のように見ていけば

その深さが、縦にも横に膨らんでいく・・・というお話だった。

そのことを、お姉さまに投げかけてみた。

こころに刻むって、表面的な記述をおいかけるだけでなく、

そのお話のように、時は止まらずに刻み続けているわけだから

繋がりの中でとらえていくことかもね。と素敵な答えが返ってきた。

そして、この瞬間に思う。

僕の世代は、今とは違うだろうけど受験世代だった。

ただ、点数のために、何のとかの飢饉、何とかの疫病、また動乱など

教科書の記述のみを覚えていった。

そして、試験で漢字を間違えたりして×になり、

名称が複雑なんだよね、などと思ったことも多々あり。

でも、そこにはどれだけの人の苦しみや、悲しみがあったことか・・・

それを、覚え違いや、書き間違えで、その重みを全く感じず

試験に合格した、しないということもいかがなものかなあと思ってしまう。

今回の震災も、いつの日にか試験問題に出て

ああ、わかっていたんだけど、東北だか東日本だかうる覚えで

間違えて、入試に失敗したんだ。。。などということに繋がらないといいね。


そう、ナポリ。

Mimmaとはイタリアでも日本でも、あまり雨にあたったことが無かったけれど、

傘の手放せない日々だった。

その代わり、瞬時に変化する雲の流れを

まさに、古代ギリシャに攻め入られた時からの希望へ向けての

動きのように映った。

教会での祈りに、何を探し、何に出会ったのだろう?

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海の向こうに、何を求め、何に出くわしたのだろう?


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いつの時代も、ひとは安心の手と不安の手を持つかかしのように

揺れ動く。。。
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by nakazawasoju | 2011-11-06 23:58